レスリー・ハワード



レスリー・ハワード(Leslie Howard 1893年4月3日生)
 [イギリス・俳優]


 大学卒業後銀行で働いていたが、第一次世界大戦で戦争疲労症になる。その治療の一貫として芝居に出ることを医師に勧められる。甘いマスクと長身でスリムな体型で、舞台にでトップスターとしての地位を築き上げ、映画にもたびたび出演した。

 1933年のロマンティック・コメディ『バークレー・スクエア』では、アカデミー賞に初ノミネート。翌年の『痴人の愛』では、セクシーで不思議なヒロインを熱演したベティ・デイヴィスと共にまたもや注目される。

 1936年には『ロミオとジュリエット』に出演し、43歳にしてティーンエイジャーの役を熱演した。1938年にはハワードの代表作のひとつとなった『ピグマリオン』に主演。主役のヒギンズ教授を演じアカデミー賞主演男優賞にノミネート、ベネチア国際映画祭では主演男優賞を受賞した。

 翌1939年、大作『風と共に去りぬ』に出演、ヒロインのスカーレット・オハラが妄執する美男、アシュレー・ウィルクスを演じた。誠実だが気の弱いアシュレー役にハワードは最適だった。

 イギリスに戻り、何作もの作品に出演していたが第二次世界大戦が勃発。各地で兵士達を応援する講演のため飛び回った。1943年6月1日、ハワードが搭乗したポルトガルのリスボン発イギリス行きのBOAC777便は、ビスケイ湾の公海上でドイツ空軍に攻撃され墜落。この事件でハワードを含む乗員乗客17人全員が死亡した。

 第二次世界大戦当時のポルトガルは中立国で、リスボンは枢軸国と連合国の捕虜交換の拠点となっており、そのため各国のスパイが暗躍する舞台となっていた。事故当時イギリスのチャーチル首相は仏領アルジェリアのアルジェを訪問中で、たまたまハワードのマネージャーがチャーチルとよく似た年格好をしており、またハワード本人も首相のボディガードとよく似ていたため、ドイツのスパイがこの二人をイギリスへの帰途にある首相一行だと誤認、事故機を首相搭乗機として追撃したものといわれる。

 なおドイツ諜報部はハワード本人にもスパイ活動をしている疑いをかけていたが、実際にそのような事実があったことを裏付ける資料はない。

 1943年6月1日死去(享年50)


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