物語

雫の音色♪ 1

小さな話し声と僕の足音が響く。
白いその廊下には人がいなかった。しかし、それはただの偶然に過ぎない。たいてい、いつもはすれ違う人がいる。
ある部屋からは、楽しげなテレビの音が廊下に漏れていた。子供番組のようで、その部屋には『二〇三』と記されている。しかし、僕はその部屋に用は無く、僕はその部屋の前を通り過ぎた。
二〇三、二〇四、二〇五・・・・・・
『二〇六』。
僕は立ち止まった。
閉まっているドアを軽くノックする。すると中から小さく返事が聞こえた。スライドドアの取っ手を握り、大きく深呼吸する。
軽い振動が手に伝わり、ドアが開く。その途端、僕の視界は真っ白になった。一瞬、目を細める。
窓を開けたままのこの部屋は、太陽の光りが満ちていて、ゆっくりと視界が開けた。
白い部屋だ。部屋の奥に位置する窓。その窓の側にベッドがひとつあり、小さな棚の上にはテレビが載っていたが、そのテレビはついていない。
ただ、窓の外から車が走り去る音だけが小さく聞こえていた。
「悠……?」
彼の細い声で僕は我にかえった。
この声の持ち主はベッドに横たわっている彼だ。
彼の視線は天井に向けられている。
「どうした? やけに今日は早いね。」
彼はそう言った。
「……あぁ。今日は何も無かったからさ。」
僕の口はそう言った。
「お前は今日一日何して過ごしていたんだ?」
いつもの質問をする。
「新しい曲の歌詞でも考えてたよ。もうすぐ春だってニュースで言ってた。」
僕にはその彼の言葉が苦しかった。
「学校は?」
彼が聞いた。
もちろん行ってない。
行く気がしない。
行って何になる?
そう僕は思うようになってきた。そんな思考、いままでの僕にはなかったのに。
確かに将来のことを考えれば行かなければ、と思う。
しかし、何も覚えないまま一日を終える。
そんな毎日の繰り返し。
今までの僕はそれで良かったし、何の不満もなかった。
しかし、今の僕は今までの僕の思考を受け入れなかった。
「読めるかわからないけど・・・・・・」
そう言って彼は僕に一枚の紙を手渡した。
崩れた文字達に僕はそれに目を通す。
それは短い歌詞だった。
「誠二が考えたのか?」
誠二。それが彼の名だ。
「それ以外、誰が書いた?」
柔らかく、優しい表情で笑った。
「どうせ悠は考える暇がないだろ? だから一日中暇人が作ったさ。」
その言葉に僕は笑った。
「忙しくはないさ。」
そう僕は答えた。
「また彼女が二股してた?」
「そうそう、あいつフリーとか言いながら彼氏居たんだよ。……って、元から彼女いないし!」
僕がそう言った途端、誠二が吹き出した。
肩を揺らしながら苦しそうに笑う。
彼を見ているうちに僕も可笑しくなってきて二人で笑った。
「やっと笑った。」
え……?
「だって悠、最近笑わないしさ。何か悩みでもあんじゃないかって思ってた。」
僕は胸が熱くなるのを感じた。
誠二はなぜこんなに笑えるんだ?
僕がもし誠二だったら、こんなには笑えないだろう。
彼は視線を天井に向けたまま言った。
「どうした?」
窓の外から、小鳥が仲間を呼び合う声が小さく聞こえ、僕はそれに目をやった。
電線に止まっている燕。誠二の言うとおり、もう春はここにいた。
すると、その燕の隣に飛んできた燕が止まる。
二羽は尾を揺らしながらさえずっていて、その姿は昔の僕らに似ていた。
……そして、二羽は飛び立って行った。
僕らがこの燕だったら、どこへ飛び立つのだろう?



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