物語

天使が舞い降りた日には* 10

「あそこですよね、あの青い建物。」
 彩が指差す先に、此処からはまだ小さくだが港の辺りが見える。
「昔行った時より、広くなってるみたい。」
 珈琲を飲み干し、また僕らは車に戻った。水族館のイルカの形の大きなアーチが僕らを出迎える。青色の大きな建物は僕が昔来たときよりも鮮やかに彩られ、装飾されていた。
「結構変わってるみたい。ここらへん、前来た時にウミガメの像みたいなのがあったんだ。」
 入口にはもうそれは無く、代わりにアニメ風の人魚のキャラクター人形が飾ってあったが、内装はそう大きく変わってはいなかった。
「広いですねぇ。」
 天井まで水槽になっていて、僕らの頭上をエイなどが泳いでいく。
黄金色の魚、ピンクの魚、不思議な模様のついた魚・・・。
 たくさんの種類の魚たちがいた。タッチプールで彩が僕にナマコを持ってきたときは正直驚いた。
「亜紀良さんは、ナマコ嫌いなんですか。」
「嫌いとか好きとかいう問題じゃないと・・・、早くそれ戻そう。」
 僕らはほとんど全ての水槽を見終わると、この水族館の目玉でもある一番大きな水槽の前まで来た。薄暗い照明と透き通る青の水槽。水面の光が反射して、水の模様が広がる水槽の中ではたくさんの魚が自由に泳ぎ回っている。
「自由ですね。」
彩が水槽ガラスに手をついて言った言葉には、魚たちへの憧れが混じっていた。
「自由だけど、海に比べれば狭いんじゃないかな。」
 今度は彩が水槽を眺める僕の横顔を見ていた。
 すると、僕らしかいなかったこの場所に数人のグループが入ってきた。僕たちは端に避けたが、その中の若い女性が僕らのほうを見ていたが、隣の彼氏らしき男性に言った。
「ねぇ、あの人。」
 彼氏のほうは僕らのほうを横目で見ると、
「そんなわけないだろ。」
と言って彼女とまた水槽に目を奪われていた。
 僕は彩を連れ、そそくさと水族館を出た。迂闊だった。
「気づかれてない。」
 僕は彩を連れて、誰もいない浜辺のほうに出た。昔、僕がよく遊びに来た浜辺だ。
「すみません。」
 下を向く彩。
「大丈夫、ばれてない。」
「・・・迷惑ばっかりかけてしまってます。」
「そんなことないさ。」
「そんなことないわけないじゃないですか。私といたことを知られてしまっては亜紀良さんの人生が滅茶苦茶になってしまうんですよ。」
「そんなことわかってる。」
 自分に負い目を感じる彩。自分のせいで自分を助けてくれた人間を酷い目に合わせてしまうかもしれない、と考えたのだろう。僕は彩を抱きしめると、小さな彩は僕の手にすっぽりと収まった。彩は突然の出来事に呆然としている。
「だから、僕は彩といたいんだって。」
 僕の腕に顔を埋めたまま、彩が頷いた。もっともっと時間があれば良かったのにな。空には冬の青空が広がっていた。海風が彩のロングスカートを揺らす。彩は僕に抱かれたまま、顔を上げて笑った。
「彩、また何処か行こうか。」
 手を繋いで歩き出す。夏に海水浴に来た人たちには狭い浜辺だが、二人だけだったら充分広いと感じる広さである。水族館が設置した魚型の時計が、午後二時を回ろうとしていた。


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