物語

影と烏 1


私はいつものように、鯉の泳ぐ、庭の池を眺めていた。
数匹の鯉は、群れを作って行動している。あの、黒い大きな鯉がこの群れを率いているのだろうか。鯉のつるつるした体が水上に顔を出す。私は、鯉に触れてみた。思ったより、べたべたとしている。鯉から視線を外し、屋敷の塀の向こうにある『山』と呼ばれる三角のものに目をやる。
私はまだ、この屋敷から一歩も外に出たことが無かった。私は屋敷の外を知らない。でも、この屋敷の全ての部屋にも行ったことはない。
物書きの父に、「私の部屋と、黒い障子の節の間には、決して入らぬように。」と、言われている。でも、私はどの部屋にも興味はなかった。入ってみようとか、覗いてみようという好奇心が無かった。
ここには、私と両親。そして、三人の使用人が住んでいる。けれど、私に友達はいない。毎日、一人で遊びを考える。石に模様を描いてみたり、鯉に餌をやったり・・・。
そして、ついに私の考えた遊びは全て実行してしまい、何もすることが無くなった今日。
私はあることを思いついた。それは、この屋敷を冒険してみようというものだった。
目的地など無い。ただ、屋敷を歩きまわるだけだ。私は屋敷の中を、さ迷い歩いた。初めて来た場所も多く、私の心は満足していた。しかし、いつの間にか迷ってしまったらしい。
夕日が、この長い廊下を、静かに赤く染め上げた。『烏』と呼ばれる黒い鳥が、不気味に鳴きながら飛んでゆく。私の目の前にある廊下に位置する、どの部屋にも明かりはついていない。私は、屋敷のどこかの廊下に佇んでいた。一体ここはどこに位置する場所なのだろうか。しかし、日が暮れるにつれ、私は不安になった。自分の家なのに、帰れるだろうか、という疑問が繰り返し、自分に問いかける。
「誰かいないの?」
私は恐る恐る聞いた。しかし、返事はない。廊下は、ますます赤く染められた。私は怖くなり、泣き出してしまった。烏の鳴き声が、また聞こえた。
「誰か助けて!」
私は大声で叫んだ。でも、返事はない。私ももうここまでか?そう思った時だ。ある部屋の明かりついた。私の居る場所から、三つくらい先の部屋だ。
「どうしましたか?」
聞いたことのない声だった。しかし、今の私にそんなことは関係なかった。その部屋の前まで歩く。その部屋は、黒い障子の節の間だった。父がこの部屋には入るなと言っていたことを思い出し、私はその部屋の前でわけを話した。障子に人の影が映っている。
中にいるのは、一人のようだ。
「母屋に戻るには、この廊下を先に進み、その階段を一階まで下りてください。そして、一階の廊下の窓から外に出ることができます。そこから、池が見えるので、もう帰れますね。」
障子に映ったその人は言った。声からして、若い男のようだった。私は、礼を言うと廊下を歩き始めた。
彼の言ったとおりに廊下を歩き、階段を下りる。そして、窓から外に出た。母屋の前にある、あの池が見えた。私は安堵の息を吐く。それから、私は部屋に戻った。調理場から、夕食を作る良い匂いが私の鼻に着く。調理場をのぞくと、てんぷらを作っているようだった。使用人の一人が私に気付いたようだった。
「お嬢様、夕食はもう少しで出来ますので少々お待ちください。」
と、笑顔で言った。私は、盛り付けを終えた皿の方に目をやる。私の分、父の分、母の分。前回、使用人に「あなたたちの分は?」と訊ねたところ、私たちが寝たころに食事を取ると聞いていた。
「ひとつ皿が足りないわ。」
私は言った。黒い障子の節の間の人の分が用意されていない。あの人は、使用人ではない。父の知り合いでも、来ていたのだろうか。それとも、今までここに住んでいたが、私が知らなかっただけだろうか。すると、使用人は首を傾げた。
「誰の分でしょうか?」
「黒い障子の節の間の人の分よ。」
使用人たちは、顔を見合わせた。そして、私にこう言った。
「あそこは、誰も使っていませんよ?」
今度は、私が首を傾げた。
「何を言ってるの。さっき、私は人に会ったわ。」
使用人が、その部屋を確認しに、調理場から出て行った。
「どんな方でしたか?」
「お父様が、あそこの部屋は入るなと言っていたから、中は見てないわ。でも、若い方だったの。」
使用人は首を傾げるだけだった。そして、彼はどんな人だったかをいくつか聞いてきた。
でも、私は彼の障子に映った影しか見ていない。


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