物語

一途 1


   一途
                                  柏木 優


 彼女が僕の目の前から去った時に残して行った、赤いハイヒール。その持ち主だった友梨は、もう僕の元には返ってこないのに…。
「裕己、もうコレ、捨てたほうがいいんじゃないか?」
 大学時代の友人が家に来た時は、必ずそう言う。彼らは僕の事を思ってそう言ってくれるのだが、僕はこれを捨てるつもりも、しまうつもりもない。ずっとこの玄関に、このままの形で残って行くと思う。僕が好きで、これを此処に残しているわけじゃない。これを此処に置く事によって友梨への懺悔になると思っている自分がいる。これを此処に置く事によって友梨を忘れずにいられると思っている自分がいる。これを此処に置く事によって自分が裁かれると思っている自分がいる。
 そして、僕はまだ友梨が返ってきてくれるような気がするから……。

「裕巳、今晩は何食べたい?」
 白いフリルがたくさんついた水色のエプロンで友梨は僕を出迎える。
「暖かいもん食いたいなー。」
 僕はマフラーを外しながら、友梨に笑いかける。友梨はすぐさまキッチンに向かい、夕食の支度を始める。コトコトと友梨の包丁の音が聞こえる。
―――結婚したら、もっと大きなキッチンの付いた家に引っ越そう。
 僕は彼女の後姿を眺めながら、将来の事を想像する。
「裕巳、来週の火曜日って空いてるかな?」
 友梨が笑顔で僕の方を振り向く。
「来週の火曜? 空いてるよ。けど、その日って何かあったっけ?」
「私の誕生日、覚えてる?」
「十二月十四日だろ。だけど来週の火曜は、一一月二三日だよ。」
「ちゃんと覚えてるんだね。」
 友梨が満面の笑みで僕に笑いかけてきた。
「当たり前だろ。」
 僕はパソコンを開いて、学部の友達から送られてきたファイルを開く。友梨が『三六五日』を楽しそうに口ずさんでいた。あの曲、別れた彼氏のことを思い出している女性の心情の曲じゃなかったっけ? サビから想像して…。けど、そんなところも友梨らしい。『恋空』のレンタルDVDで泣いた後、日曜ロードショーの『バイオハザード2』を見るほどだ。天然っていうのか、何ていうのか、よくわからない。けど、そんなところが僕にとってすごく愛らしい。
 ゴミ箱に捨てられたお菓子の箱が、『柿の種』と『ホワイトチョコレート』だった。…挑戦してみる気にはならないが、一緒に食べるとどんな味がするのだろう。
「友梨、そのお菓子、一緒に食べたらどんな味になるんだ?」
 友梨は少し考えてから、無邪気な笑顔を向け、
「何かねー、お酒の見たくなる味だったよ。」
 それは、おつまみ風の味だったのか…。
 キッチンのほうから美味しそうなシチューの香が漂ってきた。

 そういうのが僕らにとって、日常だった。僕らはお互い、ずっとこの日常が続き、もっと幸せになるはずだった。……そう、あの日がなければ。


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